体験の輪郭のデザイン

メリークリスマス!!
皆さん、お久しぶりです。代表の安藤昌也です。長いことブログを書いていませんでしたが、今回、UX Japan Advent Calendar 2013 のとりとして、私がUXDに関して気になることについて、少しだけ書きたいと思います。

■デザインすべき体験の輪郭


UXやUXDに対する理解が、ここ数年国内では急速に広がりました。ちょうど1年前に、私は「来年はもうUXに関する講演はやりません」と身近な人に言っていました。この2013年は、本当にUXの基礎に関する講演依頼はほとんどなくなりました。つまり、それだけ概念としての普及期に入ったのだと思います。(UXとUIとUXDの違いについては、私のスライドなどをご覧いただくと、以下の話は混乱なく読めると思います。)

一方で、様々な方がUXを語られる記事などを拝見するようになると、逆に私の中に一つの疑問がわいてきました。UXといいながら、その言説の多くは、対象企業が儲かる話と不可分であること。視点はユーザーにあるように見せかけて、軸足は企業側にあるものが多いのです。いやもちろん、私自身も企業とユーザーの両方の視点からUXを議論してきましたので、批判すべき立場にはありません。しかしその中でも、たとえば、A/BテストでUXを改善したといったような、矮小化されたエクスペリエンスの議論は、”UX・UXD”という言葉を都合よく消費しているように思えてなりません。本来のUXDであれば、ユーザーの本質的な要求価値を検討し、メディアそのもののあり方を根本から議論してもよいはずです。

では、矮小化されたUXDの議論と望ましいUXDの議論とでは、何が違うのでしょう。ここで重要なことに気がつきます。UXDにおいてデザイン対象は提供する体験の種類や内容、そしてその質向上です。しかし問われているのは、UXのどの範囲をデザイン対象とするかを決めることだということです。単に自社のWebのコンバージョンのみを指標と考えUXDの範囲を定義していたら、それはいかにも矮小化されたものだといえるでしょう。逆に広くとらえすぎても、これもまた無意味なものになってしまうでしょう。つまり、デザインすべき体験の輪郭をデザインすること。UXDの本当の難しさはここにあると思います。

デザインすべき体験の輪郭をデザインすることを、UX戦略と呼び変えてもいいでしょう。あるいは昨今ではサービスデザインが注目されていますが、実はこれも、この体験の輪郭をデザインすることを意識的に行うデザインプロセスだといえるでしょう。体験の輪郭を適切にデザインすることができれば、矮小化された手前勝手なUXの論議よりは、ユーザーが本当に求めている体験に少しは近づけるのではないかと考えています。

では、デザインすべき体験の輪郭をデザインすること自体を考えてみましょう。デザインすべき体験の輪郭をデザインするのはなぜか? ということです。

企業でUXDに携わっておられる方は、きっと当然のようにお答えいただけると思います。企業では、経済性を考え、企業の提供するものとユーザーの体験が一種のエコシステム(UXが継続可能となるまとまりのある系)として成り立つかどうか、ということでしょう。エコシステムという点がポイントです。ユーザーがうれしい体験だと思わなければ、その体験は一回こっきりで終わり、継続されないでしょう。だからこそ、そのベストなバランスを考えることが、UXDの要となるわけです。つまり、体験の輪郭をデザインすることは、UXのエコシステムを探索することだと言い換えられる訳です。

このように考えると、UXが成り立つエコシステムを探れば、企業が提供するものだけでなくても、UXDの考え方を適用できるような気がしてきます。また、企業が提供するものであっても、新しい価値が産み出すことができるのではないでしょうか。

少し具体的に考えてみましょう。たとえば、ハードディスクレコーダーで考えてみます。以下のグラフは、私が2009年のヒューマンインタフェースシンポジウムで発表した結果の一部です。HDDレコーダーのユーザーを調査し、操作の自己効力感(自信のようなもの)とHDDレコーダへの関与度(関心度)を測定し、ユーザーを4グループに分けました。そして、「身近に機能や操作について手助けしてくれる存在がいますか?」という質問をしました。その結果、操作に対する自信がない層では明確に「誰か身の回りに機能の理解や操作を助けてくれる人がいる」と回答していることがわかりました。


私自身、こんなにはっきり結果がでると思っていませんでした。ですが、よく考えてみると、HDDレコーダのような製品は家庭という社会の中にある製品です。ユーザーが一人で製品を使用するだけでなく、社会性の中に製品があり、その中に体験があると考える方が自然なことです。

こういう事実があるとすれば、積極的に「誰かに助けてもらう、やってもらうための機能やサービス」があってもいいかもしれません。つまり、HDDレコーダを使って映像を観るという体験の輪郭を、人々の関係まで広げて考えるわけです。何か新しい製品価値が生まれそうな気がします。すこし切り口は違いますが、パナソニックの「スマートビエラのある生活」で示されているシナリオは、製品が提供する体験の輪郭を意識したものになっていることがわかります(提案内容がよい体験かどうかは別議論ですが、、、)。

矮小化されたUXDの議論では、このような話にはならないのではないでしょうか。UXDを本当の意味で、ユーザー体験をよいものにするために、私たちが考えるべきことを今一度見直したいと思います。

みなさま、よいクリスマスを。そして、よいお年をお迎えください。

2013年12月25日
安藤昌也




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